【STUDYBANK講師】金子茉央

【名前】金子茉央(かねこまお)
【担当】文系科目
【出身】富山県富山市
【生年月日】1994年9月26日
【趣味・特技】映画鑑賞、本屋巡り、テニス
【座右の銘】やるかやらないか迷ったらやる
オフショット
My Story
教育関係の仕事は絶対しないと決めていた私。
小学生のとき、元気いっぱいでやんちゃな子供でした。元気すぎて、たまに同じ小学校の子をからかうこともありました。しかし、ある時から親のケンカが絶えないようになり、とてもつらかったときに、種類は違うけど、自分がからかっていた相手の心の痛みを感じ、「これはやめなきゃ」と気付くことができました。そして、真面目でいい子になろうとしました。このことで「いい子でいなければ」という縛りを持ってしまうことにもなったのだと思います。
そこからは「いい子」でいるためにいろいろなことを我慢していた気がします。子どもながらに悩みがたくさんあった子供時代でした。
進学した中学校は市内で荒れているといわれる学校の1つでした。中学2年生のとき、生徒から教師へのいじめが始まり、学級崩壊が起こり、担任の先生が体調不良で学校に来れなくなってしまいました。
私にとって、このことが大きな衝撃となり、「教師は大変だから、絶対に教育関係の仕事には就かない」と決意した時でもありました。
高校生になって大学への進路先を決める時期。
私は法学部、経済学部、外国語学部などの他の文系の主要学部に興味がない、かつ、まだ好きだと思えることは人の心情を考えることだなと感じ、心理学を学ぶことのできる金沢大学人文学類に進学しました。
そして、大学生になり、心理学を学んでいるからには臨床心理士にならんともったいない、と漠然と思っていました。どちらかというと友達の話を聞くほうではあったし、まあ適性かなと軽く考えていました。今思い返すと、このときは臨床心理士になりたい理由がかなりふわふわしていました。やはり、なりたい理由がふわふわしていたので、臨床心理士の仕事について少し調べて、やっぱ大変そうだ、やめよう、と考えた結果、民間企業の就活をしていました。
しかし、そのころSTUDYBANKで生徒が勉強の質問を受け付けるだけでなく、ふらっと話しに来てくれたり、悩みを相談してくれたりするという体験を何度か経験して、「みんなのような中高生のちょっとした悩みを聴きたい。吐き出しやすい場所だと思ってもらいたい。もし、それが何か大変な悩みだったら、しっかり解決させてあげられるような頼りがいのある先輩になりたい」と感じるようになりました。
自分も当時そんな場所や人に出会えていたらもっとよかったかもしれない。
そのことに気づいてから「誰かのために心理学をもっと学びたい」というのが筋の通った理由になりました。そして当初はなんとなくだった「臨床心理士への道」に、しっかりとした目標を持って進もうと思いました。そして無事、この目標への第一歩である志望の大学院に合格することができました。
今年度でいったん金沢を出ますが、2年間大阪で修行をして、またSTUDYBANKに戻ってくる予定です。
STUDYBANKにいる理由
私がSTUDYBANKのスタッフになったのは、正直言うと、創立メンバーである仲の良い友達からの頼みを断ることができなかったのがきっかけでした。
やはり、中学校のときの学級崩壊が印象に残っていて、教師は絶対に大変だと思い、教師や教育に関わる仕事をするつもりなんてさらさらありませんでした。しかし、その友達にはたくさんお世話になっていたので、真剣な頼みを断ることはできなかったのです。
そして、不安ながらもSTUDYBANKに通い始めました。
しかし、毎日誰よりも楽しみながら、生徒と接したり、生徒が帰った後に何時間も、塾をよりよくするためにはどうしていくかを熱く語ったりしている社長や塾長の姿を見て、「すごくかっこいい、私もここにいたら楽しめそう」と思いました。そして、「この方たちの元でたくさん成長していきたいな」と感じました。
微力でも社長や塾長をサポートして、一緒に楽しみたいというのが、私がSTUDYBANKのスタッフでいる大きな理由です。
また、私自身、中高生のときに、勉強をする場所だけでなく、嬉しいこともつらいことも話せるような場所、自分の興味や好きなことをもっと広めて深めていける場所があったらよかったなと思いました。今の中学生・高校生にとってSTUDYBANKをそんな場所にしたい、と思っています。